――変わったこと、変わらないこと
はじめに
奈良の町を歩いていると、ふと昔の記憶が重なることがあります。
今見ている景色そのものが、昔とまったく同じというわけではありません。
けれど、空の広さや、山の位置、道の曲がり方は、記憶の中の奈良と大きく変わっていないように感じます。
昔の奈良と今の奈良。
比べようとして比べるというより、歩いているうちに、自然と思い出す。
そんな形で、記憶は現在と静かにつながっていきます。
子どもの頃に見ていた景色
当たり前だった風景

子どもの頃は、奈良の風景を「特別なもの」だとは思っていませんでした。
寺や池があることも、鹿が歩いていることも、ただそこにある日常でした。
観光客の姿も今ほど多くなく、町全体がもう少し素朴だったように思います。
道を歩いていても、今ほど賑やかではなく、どこか落ち着いた雰囲気がありました。
当たり前の景色は、記憶の中では、いつも静かです。
昔と今を比べてしまう瞬間
猿沢池のまわり

猿沢池のまわりを歩くと、昔の記憶が浮かぶことがあります。
今は整備され、歩きやすくなり、人の姿も増えました。
昔は、今ほど明るくなく、夕方になると少し薄暗かった印象があります。
その分、水面に映る光や影が、より印象的だったような気がします。
便利になった部分と、失われた雰囲気。
そのどちらも、今の奈良の一部です。
行事や祭りの記憶
季節の区切りとして

奈良では、季節ごとに行事があります。
子どもの頃は、それが一年の区切りのように感じられていました。
夏祭りの提灯の灯りや、人の声。
冬の寒さの中で行われる行事。
その一つ一つが、「今年もこの時期が来た」という合図でした。
今も行事は続いていますが、見方は変わりました。
参加する側から、眺める側へ。
その変化もまた、自然な流れなのだと思います。
変わった町、変わらない町
建物と時間

建物は、少しずつ変わっています。
新しい家が建ち、古い建物が姿を消すこともあります。
けれど、道の配置や、遠くに見える山の稜線は変わりません。
夕方になると、今も昔も、同じように空の色が変わっていきます。
町は変わっているのに、時間の流れ方は、あまり変わっていない。
そう感じることがあります。
記憶は、正確ではない
曖昧さも含めて

昔の記憶は、必ずしも正確ではありません。
美化されている部分もあれば、忘れてしまった部分もあります。
それでも、記憶の中の奈良には、確かな感触があります。
空気の匂い、歩いた距離、夕方の静けさ。
そうした感覚は、今の奈良とつながっています。
記憶が曖昧であることは、悪いことではないように思います。
むしろ、今を受け入れる余地を残してくれます。
今の奈良を歩くということ
重なり合う時間
今の奈良を歩いていると、
昔の記憶と、現在の景色が、重なって見えることがあります。
まったく同じではないけれど、完全に別物でもない。
その間にある感覚が、心地よく感じられます。
変わったことを嘆くのではなく、
変わらない部分を確かめる。
そんな歩き方が、今の自分には合っているようです。
昔の記憶と今の奈良
昔の記憶は、戻るための場所ではありません。
今を理解するための、静かな背景のようなものです。
奈良の町は、記憶を否定せず、
かといって、過去に留まり続けることもありません。
変わりながら、続いています。
昔の記憶と今の奈良。
その両方を抱えながら歩く時間は、
暮らしを落ち着かせてくれる、大切なひとときです。

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