――奈良の暮らしの中で、立ち止まる
はじめに
「今日は何をしたか」と聞かれて、
「特に何もしていない」と答える日があります。
以前は、その答えに少し引っかかりを覚えていました。
何もしていない一日は、どこか無駄だったように感じていたからです。
けれど、奈良での暮らしを重ねるうちに、
何もしない時間そのものが、生活の一部として自然に受け入れられるようになりました。
それは、何かを諦めたというより、
別の過ごし方を覚えた、という感覚に近いものです。
外に出ない日もある
家の中で過ごす選択

天気が悪い日や、体が重い日は、無理に外へ出ません。
予定を入れず、家の中で過ごします。
窓から差し込む光を見たり、
外の音に耳を傾けたりするだけで、時間はゆっくり進みます。
奈良の町は、室内にいても、外との距離が近く感じられます。
家の中にいても、季節はちゃんと伝わってきます。
何もしない、という行為
目的を持たない時間

何もしない時間には、目的がありません。
成果もなく、評価もされません。
それでも、ただ座っているだけの時間は、
意外と多くのことを整えてくれます。
頭の中に浮かんでは消える考えを、無理に追いかけなくて済みます。
何もしないことは、怠けていることとは違う。
そう思えるようになるまでには、少し時間がかかりました。
天気が教えてくれる過ごし方
雨の日の時間

雨の日は、何もしない時間に向いています。
外の音がやわらぎ、町全体が少し静かになります。
窓越しに見る雨は、
外に出る必要がないことを、納得させてくれます。
今日はここで止まってもいい、という合図のようです。
雨が降っているだけで、
一日をゆっくり使ってよい理由が生まれます。
何かをしないことで見えるもの
動かない時間の気づき

動かないでいると、
これまで見過ごしていたことに気づくことがあります。
部屋の中の音。
お茶の湯気。
外の空気の変化。
それらは、忙しいときには、ほとんど意識に上りません。
何もしない時間は、感覚を取り戻す時間でもあります。
何もしない時間と年齢
変わってきた感覚
若い頃は、時間を埋めることを大切にしていました。
空いた時間には、何かを入れたほうが良いと思っていたからです。
今は、空いた時間を、そのままにしておくことが増えました。
何もしないことで、体も気持ちも、無理なく整います。
年を重ねることで、
時間との付き合い方が、少し変わってきたのだと思います。
夕方に近づく時間
一日の終わりを受け入れる

何もしないまま過ごした一日は、
夕方になると、自然に終わりへ向かいます。
影が伸び、部屋の明るさが変わる。
それを見ているだけで、
今日という一日が、きちんと区切られたことが分かります。
何もしていなくても、
一日はちゃんと進み、ちゃんと終わります。
何もしない時間の意味
何もしない時間は、
何かを足すための準備ではありません。
むしろ、余分なものを手放すための時間です。
奈良の暮らしの中には、
そうした時間が入り込む余地があります。
急がず、詰め込まず、空白を許す。
何もしない時間を過ごすことは、
暮らしを止めることではなく、
静かに支えることなのだと思います。

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